PPDC blog

グラフィックデザインオフィス
株式会社PPDCスタッフブログです。
<< July 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 自分超強い<逆説的に | main | 7/19 >>

その日はいつも蝉が鳴いている

0

    先日は、5時まで卓球の試合の後、7時の新幹線で山形県は酒田市まで帰省するという強行軍でした。
    何しにいったのかというと、法事。
    今年は、大伯父の3回忌と、昨年若くして亡くなった従兄弟の1周忌でした。
    ここの所、毎年のように近親者が亡くなっていますが、なぜかみな7月です。
    こんな事を言うと不謹慎ですが、みんな日が近いので、一辺にまとめて法事が出来て、遠くから馳せ参じる私にとっては、とても助かります。
    うちのお墓は、山形県酒田市の名刹の一部かなり特殊な位置にちと広めにとられています。密接なつながりのある祖母の実家と、うちの実家とが隣り合って三重ノ塔の正面に据えられています。
    祖母の実家は北海道函館市に一族がいますが、お墓はこの酒田にしかありません。なので、みんな亡くなるとここに入りに来ます。(なんか言い方が変)
    お墓の隣の墓誌は、わかる範囲からしか彫られていないので江戸時代終盤からしか載っていませんが、それでも一体何人分のお骨が入っているのでしょう。

    お堂内で、法要をしました。

    毎年7月末の暑い時期にこうやって法事をするわけですが、お堂の中は外に比べるとかなりひんやりとしています。
    長いお経を読んでもらっている最中、境内では盛んに蝉の鳴き声が響き渡っています。
    窓から見える、大きな木々の深い緑と、真青な空・白い夏雲は、命の燃え上がるような夏の到来を、本来は印象づけるはずなのでしょうが、広いお堂内の遠く離れた窓から見えるその様子は、なんだか今居る空間とは別次元のもののようにも思えてきます。
    また、ずーっと鳴り響いている蝉の鳴き声は、短い地上でのまさに生命を謳歌している生命力の象徴のように感じられもするのですが、同時に生き物のサイクルというか、この世の無常感も多少感じずにいられません。
    人間は、人1人亡くなると、とりあえずその人と直接ふれあった人がこの世にいる限りは、こうやって時折思い返しては、懐かしんだり悲しんだり、思いに浸ったりするわけです。
    けど、毎年夏は同じように巡って来るし、窓の外の大木と青い空と白い雲、そして絶対に去年と同じものが1匹としていない蝉達の鳴き声というのは、全く同じように繰り返されていくわけです。
    人には思いというものがありますが、こうやって子々孫々が徐々に入れ替わり、生命の営みを繰り返して行くという点に置いては、蝉となんら変わらないわけです。
    人の死というものに対して意味付けをしていくのは人ですし、しなくてはやっていけないのかもしれませんが、何か窓の外の蝉の声を聞いていると、すべてが意味のない事のような気もしてきます・・
    法要が終った後、一周忌を迎えた従兄弟のお骨を、納骨しました。
    お墓の前の石をずらし、参列者が交代で直接お骨を手にとって、お墓の下に入れました。
    従兄弟は20代前半でした。
    私の叔父・叔母にあたる従兄弟の両親が、自分の子どもの納骨をしている様子を見て、やはり一番の親不孝は親より先に逝く事だなと思いました。(もちろん、病気とか不可抗力は仕方ありませんが)
    自分が親となった今、ただ単純に「親が子の葬式をするなんて悲し過ぎる」というごく当たり前の感情が前よりより強くなったのもありますが、降りしきる蝉の鳴き声の下、輪廻というか、生き物としてもそれは順番が違うよ、というある意味動物的なというか、すごく冷めた俯瞰的な視点からの気持ちも心のどこかで感じずにはいられませんでした。
    来年は大叔父は法要はありませんが、従兄弟は3回忌。
    そして再来年は、祖母の7回忌。

    きっと来年も蝉は鳴いている。

    JUGEMテーマ:山形県酒田市

    世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか

    sakata | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | - | -

    この記事に対するコメント

    コメントする









    この記事のトラックバックURL
    http://blog.pingpong-design.com/trackback/1522812
    この記事に対するトラックバック